今回は甘麦大棗湯(カンバクタイソウトウ)について考えます。不思議な漢方の力を、ことさら感じさせる処方なのですが、その理由のひとつに、処方構成のシンプルさがあります。医食同源という言葉がありますが、まさに食事なのか薬なのかわからない中身です。別名、甘草小麦大棗湯というように、甘草、小麦、大棗、の三種類からなっています。
『金匱要略』が出典の処方ですが、そこには不思議な適応の記載があります。かつてヒステリーといわれたような、婦人の神経興奮、狂躁のような状態、いわば狐憑きのような症状に使う、というのです。なにやら恐ろしげな感じもしますが、そんな人に、こんなパンのようなものを飲まして、果たして治せるのでしょうか。矢数道明という先生は、16歳の「猛烈なてんかん発作」の症例や、17歳の鬱病症例を、いずれも2ヶ月程度の甘麦大棗湯投与で治したと書き残しています。他の共著の本には、その適応に夜驚症・小児自閉症・不登校・咽喉頭異常感症・更年期障害・ヒステリー・てんかん(これら病名はいずれも当時のもの)などといった、精神神経科領域に多く相談されるであろう病名が並んでいます。現代でもこのような疾患に対し、有効な西洋薬はまず存在しません。特に小児自閉症と記載があるところは注目すべきです。
つい先日、「子どものこころと漢方」という特集で日本小児漢方懇話会という勉強会に出席しました。この会でも、甘麦大棗湯が自閉性障害の症状に、とか、不安、心配性、悲哀感、自信のなさなどの抑鬱症状に効果を示す例があると、小児科、精神科、小児精神科などのバックグラウンドを持つ、講師全員の先生が話されていました。私自身も、生まれつきの障害をもったお子さんや、自閉症スペクトラムのお子さん等に対し、この処方を用いて、困っていた症状の緩和を認めた例を経験しています。このパンのような薬が、向精神薬のような副作用の心配な薬を遠ざけることができるなら、なんてすばらしい事でしょう。しかし、漢方薬のみで全て問題が解決するわけではなく、どの先生も心理療法や親御さんの心理サポートなど、一生懸命努力され、その上で漢方薬を使っています。一緒に治そう、その力になれるかもしれない漢方薬があるよ、このメッセージは、治らないとされているいろいろな症状への、希望につながると信じています。
《参考資料》
第14回日本小児漢方懇話会の講演より
臨床応用漢方処方解説(矢数道明・創元社)
漢方診療医典(大塚敬節、矢数道明他・南山堂)
中医臨床のための方剤学(神戸中医学研究会編著・東洋学術出版社)
《写真提供》
株式会社ツムラさんのご厚意による
【文責】 三重大学附属病院漢方専門医・小児科専門医・医学博士 高村光幸